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プロフィール
HN:
矢ヶ部 セイコ
年齢:
34
性別:
女性
誕生日:
1989/07/31
職業:
現代アーティスト
趣味:
年上の人にかわいがられる
自己紹介:
佐賀在住の現代アーティストです。佐賀の現代アートの祭典『呉福万博2011』出品。GEISAI#19.20出品。ART OSAKA2014出品。佐賀大学文化教育学部美術・工芸課程西洋画専攻卒業。呼ばれれば何処へでも行きます。尊敬する人は長渕剛。
Twitter 矢ヶ部セイコ@DseikoeroGLAY、
Facebookは矢ヶ部セイコFacebookページで検索!
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佐賀でのんびり生きています。基本よく寝ます。 ゆとり世代です。
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私は父が苦手だ。

小さい頃から苦手だった。

好きという言葉を発するのは難しくて、ずっとてきとうな距離を保って生きてきた気がする。

そもそもは仲の良い家族だった。家族全体としては仲が悪いわけではない。
父が面白い話をした時、昔話のとても変な話をした時、家族みんなで聞いて笑って漫画絵の上手な父の絵に感動したりして。
小学生のころにあった事件のひとつでは、夏休みで家族みんなでエアコンの効いた居間でゴロゴロしていたときのこと。自営業をしている父が、来客をしらせるベルに慌てて飛び起き、キッチン越しカウンターの角に頭をぶつけてしまったこと。
結構な具合でハマったそれ。カウンターの角は血まみれで父も血をにじませたまま接客していた。この手のはなしは今になってもやかべ家の笑いのネタになっている。

そんな風に家族みんなでドジ話を思い出しては笑い合ったり、一緒にテレビや映画を見たり、ゲームやカラオケを囲んで過ごしたりする、仲の良い家族だ。

だけど、父はいわゆる、昔気質な人で亭主関白だった。
父は母に手を挙げ口うるさく言ったり小言も多く、よく夫婦喧嘩していた。

母は蹴られたり、物を投げられたりしていたが、慣れたものよと次の日になると笑いとばしていた。

しかし子供だった私たちにとって父のそういう姿は到底理解できず、とてつもなく怖い存在だった。

姉と二人の部屋に入ってベッドに入っても、向かいの部屋で夜遅くまで続く父の小言はすごく辛かった。

近づくことは決してできないその部屋に、寝ていた弟はきっと毎日辛かっただろう。
きっと自分が怒られているような劣等感にいつも苛まれていただろう。

私たちはとても真面目で私たちはいつも心に傷を負っていた。

だけどみな家族が決して嫌いなわけではなかった。しかし、父の複雑な感情の起伏に触れることができず、私はいつも深く仲良くなれることが出来ずいた。



考えてみれば、父との複雑な関係が修復されないことが

私に、父のような人を引き合わせ、父のような人を想わせ、父のような男を求めさせてしまったのだと思う。全ては父と似た面影であり、父の持つ快活な性格、そして父に求めたかった愛と包容力を持った大きなひとたちであるのだ。

はなしはまた変わるが、

私は小学生の六年生の時、雨上がりでサッカーをしていて滑って硬い校庭に手をつき腕の骨を二本折る大怪我をしたことがある。

退院してギブスを付けて生活していたころ、全く手伝わなくなった私に父が心の底から怒った事がある。

私が何を言ったか知らないが、とにかく父に手を挙げられそうになった気がする。
その時、叩かれたのか…さだかに覚えてはいない。
ギブス付きだったし。

今になるとそのときの父のやりきれない怒りとその気持ちを理解してやれなかった私の幼さには呆れる。
だが、その一瞬で持った恐怖感。

叩かれる!怖い!

という恐怖感。その恐怖感が今の私をも凍りつかせる。

怒らせたら父はいつも怖いのだ。

高校生の時、金八先生を見ていて、何故か本気で争論することになったことがある。

わたしも泣いていて父もやりきれない顔をしていた。
何を言ってるんだ!っという顔をしていた。

どうしようもないことがあるんだよ
いじめか何かわからないけどそれに対してがんばろうと思っても頑張れないこともあるんだよ

とか言っていた気がする。

父にとっては生温い自愛主義が我慢ならなかったのかもしれない。未だにそれはわからない。

父とは年頃過ぎてからあまりまともに二人で話すことなんて無くなってしまった。


実家暮らしと言え、父と二人きりになることはほとんどなかった。


私の家は四人兄弟。兄と弟は関東に勤めに出て、姉は結婚し家を出た。
そして兄と私も今年結婚することになり、家の中がとたんにがらんとして見えてきた。
父や母と過ごす時間はあと少ししかないのだが、最近やたら体調が悪くなってきた父の背中がとても小さくさみしく感じる。

そんな中、いつもは父母二人で出席している班の会合に、風邪をこじらせ長引かせている父が欠席し、私と二人きりでご飯を食べることになった。

突然決まったことで、かなり動揺した。私は何を話せば良いのだろうか焦った。

しかし、実際に父と二人きりになると案外普通で
バラエティー番組なんかを二人で見て二人で笑って、むしろ仲良く過ごすことができた。

そんな中驚いたことが2つあって
ご飯を装って
はいおとうさんって渡したら

はい、ありがとう


って言われたことだ。

だからなんだかスムーズに2人でご飯を食べることができ、ゆっくり過ごすことができた。

あと一つの驚きは、私が二階でゴソゴソ探し物していて、居間に戻って洗い物をしようとした時のこと。
父が自分のお皿を洗い場に持って行ってるじゃないですか!

かなり感動して
かなり嬉しかった。


父が変わったのか
私達がもともとそうであったのか。

かつて父を憧れ慕い

かつて父を恐れ憎み

父を遠ざけていた。

しかし、
ようやく私は父のことを少し理解できた気がした。

そして、
昔からあった父との溝を埋めることができたような気がした。

今日はとても良い1日に思えた。


1日一枚落書き

「もう遊ぶなよ。by 権さん」


「To be Free」


「人生を楽しめ。」

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